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イソトレックスジェル 仏教
マレーシア__② 絶品ラクサ
ラクサといっても地域ごとにものすごくたくさん種類があるようです
今回食べれたのは4種類
一番美味しかったのはニォニャラクサですが
KCセントラル駅内レストランの店員さんが言うには一番現地人が食べているのはアッサムラクサだということです

アッサムラクサ_convert_20160827221121
KCセントラル駅内レストランのアッサムラクサ 20分くらい待ってやっと出てきたアツアツラクサ 魚介の出汁がきいている

セントラルマーケット_ニォニャラクサ_convert_20160827221215
絶品 セントラルマーケットのニォニャラクサ 日本で食べていたラクサとほぼ同じ味

サワラクラクサ_convert_20160827221042
パビリオンフードコートのサラワラクサ 麺は極細 辛くない これもまた美味

マダムクワン_カレーラクサ_convert_20160827220733
フードコート並みの早さで出てきた有名だというマダムクワンのカレーラクサ


インスタントラクサ縦_convert_20160629205320
インスタントラクサ 日本でもカルディコーヒーファームで買えますね マレーシアにも売っていました



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[2016/06/29 22:13] | マレーシア | トラックバック(0) | コメント(0)
マレーシア__① 仏教徒は現在20%
初海外LCCでマレーシアに行ってきました
基本料金が片道12000円程度 これはもう普通の飛行機には乗れません

マレーシアはタイの南部に伸びるマレー半島に位置し、マレー半島の南端にはシンガポールがあります
タイ同様にかつては上座部仏教が栄えましたが
  南伝仏教 タイ__④ 上座部仏教の前
現在のマレーシア国民に占める仏教徒の数は20%程度と あまり多くはないようです

現地には非常に多くの中国人が住んでいるようで中華料理店がたくさんあるのですが
調べてみると彼らを主とした大乗仏教が結構盛んなようです

また上座部仏教の活動も決して少なくはないようですが
こちらもまた中国人が多数関わっているようです

マレーシアの街を歩いているととてもよく見かけるのがヒジャブと呼ばれる布をかぶった女性たち
つまりイスラム教なわけですが
イスラム教徒は国民の60%を占めているようです
警官もベレー帽の横からこの布が出ていて耳は見えない状態です

ヒンドゥー教やキリスト教は10%未満程度のようです


ところでマレーシアの旅で楽しみにしていたのがラクサです

ラクサというのは・・


   つづく・・・






[2016/06/29 21:56] | マレーシア | トラックバック(0) | コメント(0)
チベット仏教② ダライラマという精神的支柱
チベットは
インド・ネパール・ブータン・ミャンマーなどと国境を接し 1951年より中国の領土とされてしまっています

お釈迦さまが生まれたのは紀元前6世紀 5世紀などさまざまな説がありますが
すぐお隣のチベットに仏教が入ってきたのは紀元後7世紀以降のことのようです

因みに中国に伝わったのは1世紀頃 
日本に伝わったのは6世紀頃といわれています

チベット仏教といえば
弾圧やら何やらで上手く他の国には伝えられなかった密教がきちんと伝わり国家レベルで独自に保存されてきたことが一つあります

そして
ダライ・ラマとは菩薩の生まれ変わりとされ
  菩薩→仏像について 菩薩
さまざまな面でチベットの人々の精神的支柱となっているようです

代々、菩薩の生まれ変わりと認定された人がダライラマを引き継ぐシステムになっており

1代目が誕生したのは13~14世紀
昨年来道されたダライラマは14代目ということです

インド旅行の際 たくさんのチベット僧侶たちも見かけました
朱色の袈裟といえばチベット僧侶さんです
  インド__⑰ ナーランダ
  インド__ブッダガヤ⑬マハーボーディ寺院__ⅱ


 関連記事 :宗派真言宗__②
 関連記事 :密教__① 三輪身
 関連記事 :宗派 天台宗__①天台宗と密教
 関連記事 :空海__⑤ 密教をマスターして帰国する
[2016/01/24 09:25] | チベット仏教 | トラックバック(0) | コメント(0)
チベット仏教① ダライ・ラマ14世北海道に上陸
タイにはその間に再び行く機会があったのですが
その前にチベット仏教について学ばなくてはいけないようです

2015年4月にダライ・ラマ14世が北海道に初めていらっしゃたのです
お弟子さんに付き添われているご様子は
まるでお釈迦様とアーナンダそのものでした

ダライ・ラマは終始ニコニコとされており
チラシでもよく見かける赤いミニサンバイザーを得意げにつけて笑いを取ってらっしゃいました
衣ももちろんインドでたびたび見かけたチベット僧たちが着用していた赤色です
  インド__⑰ ナーランダ

日本人と接すると
もっと楽に生きて良いのでは
と思うと話されてました

そんなダライ・ラマは
現在はインドに亡命されているようで
2015年の7月に80歳になられたようです

前述のようにアーナンダが両手を取ってやっと壇上に上がるような状態ですが
全世界を精力的にまわって講演を続けているようです


 関連記事 :お釈迦様の弟子 アーナンダ__①




[2015/08/22 21:45] | チベット仏教 | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑲ デリー
買い物は・・

コンノートプレイスというところが
買い物で一番にぎわう場所のようで
マックやスタバ ブランドショップなどが円形になった場所に並んでいる
とってもきれいなところです

そこから南側に少し行くと
セントラル・コテージ・インダストリーズ・エンポリウム
という3階建てくらいの建物があります

どの値段がどうなのか
特によくわからないインドでは
ここは結構安心して買えるショップのようです
シルクのスカーフをお土産に買いましたが
それまで見たものとどう見ても同じ品質でとってもお安い値段がついていました
3階建て全部がショップで
とっても広いので何でもあります
キャッシャーの人も何故かとっても安心感がありますね
クレジットカードの通信がうまくいかなくて
何度かやり直したのですが
全く不安になりませんでした

それから
ガイドさんと連絡を取るために
電話をお借りしたのですが
その方もとっても親切にしてくださいました
旅先で受ける親切ってほんとにうれしいです


そんな感じでデリーフリータイムは終了し
いよいよインドとはお別れとなりました

帰りのエアインディアは
真夜中のフライトとなるので
シートが思いっきり倒せるのはかなり楽です

帰国便も空いており
半分以下しかいませんでした

数時間寝て
とっても丁寧に起こされた後は
意外と豪華ではない朝食をいただいて
ゆったりと身支度

これでほんとにさようならです

いろんな意見があるようですが
わたしはまた行って残りの仏跡を見ておきたいです


そして
2回目のタイのお話の前に・・


   つづく・・・






[2015/03/20 22:14] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑱ デリー
最終日はデリー観光です

実際に行ってから1年も経ってしまっているので
少しは何か変わったかもしれませんね

わたしもその間に もう一度タイに行き
前回いけなかったワット・ポー寺院などにいってまいりました
その話しはまた後ほど
今回はキッチン付きホテルに滞在してかなり快適な旅でした


そしてデリーですが
いろんなニュースが日本にも入ってくるので
いったいどんな風にインドの女性たちは日々暮らしているのだろうか
という思いがあったのですが

地下鉄に乗れば
そんなこととは無縁な雰囲気で楽しそうな笑い声をあげる
ジーンズをはいた現地人グループもいたり

伝統的なサリーを着て
目が合うと恥ずかしそうにニコッとしてくれる女の子がいたり

いろんな人が入り混じっているような感じでした

車両は男女別になっているようで
男性車両はかなり混み混み状態


道を歩いていると
勝手にガイドする人はほんとにいて
それはそれでまぁどうでもいいんですけど

日本語で話しかけてくる人はとっても多かったです

買い物は・・
[2015/03/10 22:10] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑰ ナーランダ
三蔵法師が留学し
シャーリプトラやマウドガリヤーヤナの故郷でもあるという
ナーランダに来ました

すごく整備されていて
観光客が大勢きています

紀元前5世紀ころに作られた大学のようで
三蔵法師もここで寝泊りして勉学に励んでいたようです
  仏教の歴史 中国の仏教




ナーランダ2_convert_20150206085425
未回転ですが中はどこもだいたいこのような感じ




ナーランダ4_convert_20150206085509
これはシャーリプトラのお墓のようです
このナーランダで生まれて
お釈迦様の弟子になり
またここで眠っているようです


シャーリプトラは
 般若心経
  お経  般若心経__①

 阿弥陀経
  お経  阿弥陀経

 維摩経
  お経 維摩経__①

などにも名前の出てくる
とても優秀なお釈迦様のお弟子さんです



ナーランダのチベット僧_convert_20150206085532
チベットからもたくさんのお坊さんたちが見学にやっくるようです



そして
最終日はデリー観光です

実際に行ってから1年も経ってしまいましたが・・

   つづく・・・


[2015/02/06 09:30] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑯ 竹林精舎
ところで
この地で泊まったのは法華ホテルです
昔は日本人の経営だったようですが
今はインド人さんが買い取ったようですね
2階建ての建物で
温泉のような設備もあるようです
この日は私しか泊まった人がいなかったらしく
残念ながら入浴はできませんでした
レストランでは日本食メニューもありますが
そんなにお薦めではないということで
カレーをいただきました

法華ホテル朝食_convert_20150206085634
これは法華ホテルの朝食


部屋は広々としていて清掃も行き届き
快適です
しかし
ついうかつにも売店が見たいなどと言ってしまい
ただ見たかっただけだったのでしたが
なにせ一人しかいないということで
わざわざ開けてくれ・・
それでも買いませんでした
どれも高かったです
安いもので十分




話しは戻り

霊鷲山の後は
温泉があるというので
ちょっとだけ見学し
竹林精舎に向かいます


といっても
普通の広い公園です
大きな池があり
竹が本当に生えています



敷地の一部ではタイから来たと思われるお坊さんたちの集団がいました
袈裟の色ですぐにわかりますね
オレンジ色ならタイ
エンジ色ならチベット

皆さん半ばここに住んでいるかと思われるような店開きでしたが
このような人々がたくさんいるようです

公園に住むタイの僧_convert_20150206085546

公園に住むタイの僧2_convert_20150206085602


この後には
三蔵法師が留学し
シャーリプトラやマウドガリヤーヤナの故郷でもあるという
ナーランダに向かいます
  お釈迦様の弟子 シャーリプトラ__①
  お釈迦様の弟子 マウドガリヤーヤナ__①



 関連記事 三蔵法師:札幌 隆光寺__②
 関連記事 三蔵法師:仏教の歴史 中国の仏教


[2014/12/22 23:10] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑮ 霊鷲山
次は霊鷲山やお釈迦様の初の拠点となった竹林精舎などを訪れました

霊鷲山からの日の出が美しいということで
朝早くにホテルを出発しましたが
この日は残念ながらお日様は雲の向こうでした

小高い丘のような山を登ると
お釈迦様も入ったという洞窟などがあり
頂上に行くと
お釈迦様が法華経を説いた場所に着きます
  仏教の八大聖地__③ラージャグリハ

お坊さんと一緒のツアーであれば
ここでありがたいお経をあげていただき雰囲気も味わえるのですが
個人旅行なのでそれもなく

日の出が無理っぽいということで
他の団体もいず
静かな頂上でした
朝日や夕日の中で読経をあげる空間はきっと素晴らしいことでしょう

ただ物売りはいて
下山ではすごい頑張られました
10代くらいと思われる男の子で
ガイドさんによれば
こうして毎日この丘を登ったり下りたりして
物を売るのだそうです

大変そうだなー
などと思いましたが
もちろん買いませんでした
しかも普段とは違う高い料金を言ってきたらしいです
お金がありそうに見えるはずは絶対にないのですけど・・
きっとそういう問題ではなかったのでしょう




ところで
このあたりは当時はマガダ国といって
ビンビサーラが治めていたところでしたね
  お釈迦様の一生 初の拠点 -竹林精舎-
お釈迦様の光輝くお姿に感銘を受けたビンビサーラは
この地に長くいてほしいと願い竹林精舎を捧げたということです

その竹林精舎は・・


  続く・・






 関連記事 :お経 法華経__①
 関連記事 :宗派 天台宗__②法華経
 関連記事 :聖徳太子__④ 法華経

[2014/12/02 09:37] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑭スジャータ村
スジャータ村のスジャータとは、
苦行を続けたお釈迦様に 乳粥をささげた村娘の名前です
  お釈迦様の一生 無限の光に包まれる時に向かって__①
  お釈迦様の一生 沙羅双樹の木__ ①


この村でどこに行ったかといえば
貧しい家の子供たちが行く学校でした


133 乳粥を受けた場所
そして どうやらここはスジャータ寺といって
お釈迦様が乳粥を受けた場所のようです



日本人観光客の為に覚えたと思われる日本語の単語を一生懸命発表する子供たちは
とってもかわいいです
見た感じでは幼稚園か小学校1年生かといったところです

スジャータ村の学校
カメラ大好き

そして 帰りの車には物乞いの子供たちが群がってきました・・
一人に飴をあげたらもう大変・・
この子供たちは学校に行かないのだうか??
どんな線引きがあるのか不明です
年齢は写真の子供たちは変わらない子もいたのですが


140 尼連禅河
近くにある尼連禅河 -ナイランジャナー河-
お釈迦様は乳粥をいただいた前後にこの河で沐浴をしたようです
乾季なので水はありません
この河をはさんだ向こう岸にマハーボディー寺院が見えます




  


[2014/10/30 22:10] | インド | トラックバック(0) | コメント(1)
インド__ブッダガヤ⑬マハーボーディ寺院__ⅱ
もう少し行くと
主にチベットからいらしたお坊さんたちが修業する場が広がっています
この数日後にダライ・ラマ14世がいらっしゃる予定があったそうです
  わたしが訪問したのは2014年の2月のことです・・





お経を読む可愛らしい兄弟 多分・・



五体投地セット
ガイドさんによると ここに預けてあるのだそうです




覚りを得たお釈迦様は
菩提樹の下やそれを見下ろす小高い丘 前出のウォーキングエリアなど
7日ずつ7回 場所を変えてゆったりとその極上の境地を味わいました
 そんな時にやってきたのがブラフマンでしたね
  お釈迦様の一生 梵天に説得されるお釈迦様

そして これに倣ったのが
人が亡くなってから 初七日に始まり四十九日まで行われる7回の法要なのだそうです
お釈迦様が覚りの境地を味わいながら生まれ変わったのと同様
人は亡くなると49日かけて次の生へと生まれ変わるのです
  座禅 三界論__②
  仏教の歴史 ジャータカ__①

といっても 現在の法要は親族が集まるのもなかなか大変なことから
かなり省略されているようです

この後 スジャータ村を訪れ
明日は霊鷲山に行きます

 つづく・・


[2014/09/28 15:32] | インド | トラックバック(0) | コメント(1)
インド__ブッダガヤ⑫マハーボーディ寺院__ⅰ
有名なあの菩提樹があるマハーボーディ寺院です

マハーボディ寺院

菩提樹はピッパラという樹らしく
古代インドで使われていた言葉サンスクリット語で 覚り という意味を持つ ボーディ が語源となり 訳して菩提樹と呼ばれるようになったのだそうです
マハーボーディ寺院も訳せば 大菩提寺 となります




今ある樹は現地ガイドさんによれば4代目らしいのですが
ものすごい貫禄でわたしたちを迎えてくださっているかのようです

3代目までは
インドよりも仏教が盛んになったスリランカに持って行ったり
天災により失われたり
などなのだそうです



樹の奥にある祭壇




周囲には経を唱えるさまざまな国の人がたくさん集まっています
その間にわたしもしばらく座り
いろんなことを考えたのですが
非常に清々しい気分になったのを覚えています

その横には
覚りを得たお釈迦様がゆったりとウォーキングを楽しまれたという通路があり



歩いた後から蓮の花が次々と咲いていったらしいです


もう少し行くと
主にチベットからいらしたお坊さんたちが修業する場が広がっています

 
 つづく・・







[2014/09/18 15:31] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__ブッダガヤ⑪
ブッダガヤに到着すると
待ちかねていたドライバーさんが100キロ超くらいの勢いでホテルに連れて行ってくれました
自分も早く帰りたかったのでしょう
当たり前だ

今日のホテルはタージ ダルバール というところです
とてもフレンドリーな従業員さんたちです

朝 散歩に出てみましたが
大きな通りでは小学校に行く子供たちが大勢
ちょっと大きいリキシャに乗りあいしていくようですね

近くにはバラックのような小屋に暮らす人々が遠目に見えます

そこに住んでいると思われる小さな男の子が一人で歩いていたので話しかけてみました

学校には10時に行くのだそうです
恐らく政府の支援しているような学校なのでしょう

お父さん お母さん 兄弟たちと一緒に住んでいるのだそう
勉強は好き?
と聞くと
はずみでうなずくも
ほんとーー??
と聞くと
照れ笑いしてました

何故かしきりに名前を聞かれました
きっとこのホテルに泊まった人には名前を聞くことにしているのでしょう

ホテルが近くにあるので
外人に慣れている風でした

素朴な雰囲気がとっても良い感じのところです

さて
今日は旅のハイライトといもいうべき
お釈迦様が覚りを開かれた場所そのものへ行ってきます


テーマ:インド - ジャンル:海外情報

[2014/08/15 19:47] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__バナラシ⑩ 鉄道
今回の旅のホテルは全て1泊づつ移動です
毎日荷物詰めというのも なかなか大変

今日はバナラシから鉄道に乗ってブッダガヤに行きます
鉄道は是非乗ってみたかったので
どこかで乗りたいとリクエストしておきました

車の方が利便性は良いようですが
酔わないですし
現地の人も乗っているという点がよさそうな気がします

しかし
時間に遅れるのは飛行機と同じ
今回も2回出発時間が変更になりました
DOON EXP.という列車らしいです
所要5時間
当初の到着時間は21時過ぎでしたが
なんだかんだで12時近くに到着した気がします

DOON EXP
暗いですが中はこんな感じ
4人掛けが向かい合っていて上下2段あります


駅弁
これにチャパティというナンのようなパンが付いています


先にインド人ファミリーが乗っていましたが
途中からガイドさんと2人専用になり楽々移動でした
やっぱり車より楽

ガイドさんがスルーガイドではない場合
ホームで待ち合わせするようですが
かなり混雑しているので
会えるかどうか不安になりそうですね


[2014/07/31 19:44] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑨バナラシ - ガンジス河 -
5時半に起きて
カメラだけ持ってガンジス河へと向かいます

ガンジス河にはガートという84のポイントがあり
階段で河まで降りられるようになっているらしい

昨日のプジャは
ダシャーシュワメード・ガート
といって一番大きいところのようです

今日もここから小舟に乗り
マニカルニカー・ガート
という火葬場のあるところで降り
小道を上ったところにある
ビシュワナート寺院を厳重なボディチェックを受けて見学しホテルに戻ります


ガンジス河 夜明け
これより少し大きめの小舟に乗ります


ガンジス河 夜明け
次第に太陽が出てきてくれました


ガンジス河
周りはずっとこんな感じ


ガンジス河
洗濯している人たちも見かけます



ガンジス河 夜明け
ザクラークスバラナシはとっても綺麗です
バスタブもあってお湯もたくさんで想像とは全然違いましたね
朝食もここが一番良かったです
朝食ビュッフェはたくさん並んでいて
ヨーロッパ観光客さんもいました

[2014/06/19 23:56] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑧バナラシ - プジャ -
夕方近くなってからガンジス河近くに行き
プジャという礼拝の儀式を見ました
すごい観光客が集まっています

ドラが響く中
とっても容姿端麗なお坊さんたち5人くらいが河に向かって並び
歌をうたったり花や煙を撒いたり・・



無数のフラッシュを毎日浴びるので
容姿端麗な人が担当するのでしょう
多分

まぁルーティンワークのような感じで儀式は進んでいきます
といっても結構荘厳な雰囲気はありました

河には個人的に修業していると思われるような人もいますしね


そんな感じで儀式は終わり
今日の夕食はマックです

ベジタプルなハンバーガーを食べました

飛行機などでもべジorノンベジ?というのが定番の聞かれ文句です

旅行中でも野菜不足にはならないですね
インドなら

明日は早朝からガンジス川で小舟に揺られに行ってきます


 つづく・・・


[2014/06/09 21:49] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑦バナラシ -サールナート-__ⅱ
このムラガンダクーティ寺院は1931年に建てられたのだそうです
野生司香雪さんがここに行かれたのが1932年らしいですね
どうやら 本当は違う画家さんが行く予定だったのですが
直前にお亡くなりになった為 野生司さんが行くことになったようです

野生司さんという方は1885年 明治18年 香川県の浄土真宗のお家で生まれました
仏教美術というものに非常に興味を持っていたようで
インド最大の都市ムンバイ近くにある世界遺産アジャンタ石窟の壁画の模写などもしていたようです

 アジャンタ石窟とはインドの観光名所ですが
 出来上がったのは紀元前のこと
 もともとはお坊さんたちが修業する為の場所だったようです

さらに タゴールというインドの有名な思想家と交流があった方らしいですね
タゴールってどっかで聞いたことありますねぇ

帰国後は長野県善光寺の雲上殿壁画を描くなどして
長野で文人と交わるような風流な生活を送り
インドからの仏教関係者とも交流し過ごしたということです


020それを見る五比丘
野生司さん作
これから覚りを開こうとしているお釈迦様に
乳粥を捧げるスジャータ
  お釈迦様の一生 無限の光に包まれる時に向かって__①


・・・ その他の画 ・・・
  四門出遊
お釈迦様の一生 四門出遊

  アシタ仙人の予言・王子の誕生
お釈迦様の一生 使命を秘めた誕生__③

  涅槃
お釈迦様の一生 沙羅双樹の木__ ①

  誘惑を受ける
お釈迦様の一生 無限の光に包まれる時に向かって__②


[2014/05/01 16:14] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑥バナラシ サールナート__ⅰ

インド初カレーを食べバナラシのサールナートへ向かいます
梵天に何度も説得されたお釈迦様は
サールナートで初めての説法をしたのでしたね
  お釈迦様の一生 初めての説法 初転法輪 -しょてんぽうりん-

これはお釈迦様がバナラシへ向かう途中の出来事だったようです

バナラシはここから10キロほど離れたところにあり
当時はいろいろな宗教家が集まる土地だったのです


牛さんたち
途中で見た初牛さんたち
ゴミに埋もれてちょっとショックでした


ダメークストゥーパ
6世紀に造られたというダメークストゥーパ
42メートルありかなり巨大です
修復中のようで人が登っていました
周辺は公園のようになっていて地元の人々の憩いの場のように見えます
中にはアショーカ王が建てた石柱の基部分も残されています
  ストゥーパ仏教の歴史 アショーカ王の帰依



043サールナートお坊さん
今日もたくさんのお坊さんたちが集まっていました


043サールナートお坊さん
サールナートにはムラガンダクーティ寺院というお寺があり
野生香雪 - のうすこうせつ - と仰る日本の画家さんが
お釈迦様の生涯を壁一面に描いています




 つづく・・・



[2014/04/14 15:27] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__⑤バナラシへ向かう
食事は朝食のみつけました
お腹壊したら食べられないですからね
値段から行っても現地料金で払った方が普通にお得です
日本で最初頼んだ時にはランチ千円くらい見積もっていたようですから


第1日めの朝食は 少々簡素なお部屋で
恐らく一般的なバイキング

ビジネスホテルなのか
そのようなインド人の皆さんがたくさんいました

テーブルにはペットボトルが置かれてあったので
これなら安心♪
と思って口をグリッとしたところフニャッとした感触が・・

こういうのって生水なんですねーー

 ピッチャーは生水
 ペットボトルはミネラルウォーター

ということではないらしい
後日ガイドさんが頼んだ水もペットボトルできましたので
別にひっかけようとしたものではないらしい

といっても非常にあぶなかったです
ついて早々にお腹に変調をきたすことろでした


朝からヒヤッとしたところで
空港に向かいます
毎日ほぼ日替わりドライバーさんが来てくれます


空港は建物の入口で入念な検査があります
最終日に驚くことになりますが
地下鉄でもこれをやっているので
驚きです


拳銃もった警官がにらみをきかせる中で
パスポートとチケットを見せ入場です

地下鉄ではパスポート要らないですけどね



デリーからバナラシまでは飛行機で1時間半ほど

そして インドの冬といえば
 霧
ですね

まだ1月であったので
この日も結構な霧が出ていたようです

飛行機も1時間以上遅れ
しかも乗るゲートもしょっちゅう変更になるのだとか

これは相当言葉がわからないと一人旅はできませんねぇぇ


遅れたとはいえ
ゆとりの日程なので安心です


到着するとバナラシのドライバーさんが迎えてくれます
早速遅めのランチに向かいました

007 banarashi lunch2
顏サイズのナンを焼くのはネパール人さんなのだそうです 
インド人さんの焼くナンは小ぶりで薄目♪
もちろん生野菜は食べませんよ




[2014/03/21 16:41] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__④到着
出口を出る前に両替をしておくことにします
空港だと手数料をとられてしまいますが
今日からドライバーさんにチップを渡さなければいけません


そして外に出てみると
ものすごい人だかり
すごい迫力です!
みんなインド人!!
当たり前だけど

新宿で通勤時間に信号待ちをした時に
向こう側に見えるくらいの人だかりでしょう

こんなとこで会えるのだろうか・・
などと不安に思っていると・・

ものすごく向こうの方から
ものすごく大きな声で名前を呼ばれました・・

〇〇さーーーーんっ!!!!

普通に日本語です

といってもインド人さんです もちろん


とりあえず会えてなにより
一安心してホテルへと向かいます

今日はデリーに1泊して
明日また飛行機に乗ってバラナシへと向かうのです

お釈迦様が初めて説法をされたという
サールナートを見て
夜はガンジス河でプジャという宗教儀式のようなものを見学するというのが明日のコースです


今日のホテルの部屋には
バスタブはなくシャワーのみ
お湯が途中でなくなるなどということはないようです

お部屋の感じは普通にヨーロピアンな感じでとっても良いです




   つづく・・


[2014/02/27 15:46] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__③機内
席は全部で18席ありますが、5~6人ほどしか乗っていません
広々ゆったり、シートは180度に倒れてくれます

行きは昼間ですが
帰りは真夜中
これはかなり疲労度の軽減に期待ができます

結構暇な機内
お楽しみやっぱり機内食ですよね
メニューにはEelとあります
これは何なんだろー
と思って聞いてみましたが
鰻を説明しろと言われても
それは困りますよね~
なんとも鰻を頂きました

〇〇産だったらどうしよう・・
とも思いましたが
柔らかかったです
浜名湖周辺で泳いでいた鰻だと思うことにしておきましょう

しかし
勝手に8時間くらいと思っていた飛行時間
待てど暮らせど着く気配はありません

結局10時間近くかかってインディラガンディー国際空港に到着しました

大きくて立派な空港です


荷物ももちろん持ち込みしていますので
ベテランリピーターさんらしき方にぴったりついて荷物を引っ張っていきます

自分が先頭だとどこ行けばいいのか
いまいちわかりません


入国審査に行くと
手前には人が既にいたのでもう一つ向こうに行きました
なんと一応一番乗りです


荷物の受け取りもないので
すいすい進んで
出口を出ます

ここでガイドさんとミートすることになっているのですが・・

一人旅ですが
さすがのインド
ガイドさんについてもらうことにしたのです


つづく・・
[2014/02/20 23:17] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__②
ガイドブックではいろいろ不安な思いになりましたが

行ってみればなんてこともありません
通常の観光地と変わりなく周ってきました

心配していたお腹をこわすこともなく
カレーは毎日食べ
チャイも飲み
牛にタッチして
車の間をすり抜けて道を渡り
なんだかんだで結構楽しい日々でした


それにしても
ずいぶんと仏跡巡りは楽になったようです
5~6年くらい前かららしいですが
道路も整備され
草原トイレももう必要ないのかもしれませんね
現地の方の草原トイレはされてましたが・・

それ以前は本当に大変な道のりだったようです。
整備された道でしたが一応酔いましたので
以前ならもっとひどいことになったのでしょう

とはいえ
昔のインドは素朴で美しかったようです
ゴミはいつのまにか牛たちが処分してくれていたのだとか
今はプラスチックのゴミが増えてしまったようなので
さすがの牛さんたちでも処分しきれないようです

それはそれで残念な話しに違いありません
そんなに美しかったインドも見ておきたかったなー
とやはり少し残念です

道路の整備や新幹線は日本の技術らしいです
デリーでは
日本語で話しかけてくる人もたくさんですね

道を聞けば丁寧に教えてくれますし
1度違う回答をもらうにはもらいましたが・・
でもそれは
中学生か高校生くらいの若い子でしたからねー

数分話しをする程度なら
お互い楽しく時間を過ごせるというものです
長くなると
どうなるのか
ガイドブックの話しみたいになるのか
本当のところはわかりません

そういえば
明らかに頼んでもいない案内人さんには会いましたっけ
 どこ行くの?
としつこく聞いてきます
 あっち
 ただ歩いてるだけ
と答えるわたし
道案内できないのに頑張って何かを案内しまくります
最期は舌うちして去っていきましたが
やっぱりいたんですねー


さてさて
LCCで成田へ向かい
前泊してハードと思いこんでいた仏蹟巡りに備えます
第一日目
修業中の身なのに
エアインディアのビジネスクラスです
(これも仏蹟巡りに備えて・・)



   つづく・・



[2014/02/15 23:09] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
インド__①
お話の途中ですが
ついにインドに行ってくることができました

とりあえず
ここがシャーリプトラの生地でしかもお墓もあるところなんですよ
と言われれば
えーあの教団二大双璧の?
  お釈迦様の一生Ⅱ 悲しみの晩年__①

あのマウドガリヤーヤナと親友のぉ?
  お釈迦様の弟子 シャーリプトラ__①

あの般若心経で観自在菩薩が語りかけているあのシャーリプトラですねぇぇ?
  お経 般若心経__①

といった具合に
ひどく感激するくらいにはなっています
我ながら頑張りました

それと同時に
いろいろ調べているうちに
なんだかとんでもないところに行くことにしてしまったような気もして
準備途中でひどく後悔もしました・・

部屋を汚くしておけば
何が何でも生きて帰ってこようという気になるものだ
とか
警官すら信用してはいけないんだ
とか

そして
必ずインド関係のサイトやがイドブックに書かれてあるのが
下痢
という2文字ですね

おかげでいつもとはだいぶ違う荷物の中身になりました・・
一時はミネラルウォーターを持っていた方がいいのか?
とも思ったほどでしたが・・
部屋だって
いつ涅槃に赴くのかは誰にもわかりません
その場合誰が整理するんだろー
と思った結果
掃除していきました
よかったです
帰ってきて掃除するの面倒ですからね

行ってみればなんてこともないのでした


   つづく・・



[2014/02/11 19:07] | インド | トラックバック(0) | コメント(0)
お釈迦様の一生Ⅱ 悲しみの晩年__②
お釈迦様の産まれた国のお隣にあったのがコーサラ国
このコーサラ国がシャーキャ族を支配下に置くために妃を迎え
産まれたのがヴィドゥーダバでした

ヴィドゥーダバがまだ王子だった頃のことです

ある時王子がカピラヴァストゥを旅していると陰口が聞こえたのです

 ヴィドゥーダバの母は召使だったのだ

これを聞いた王子は母や父 そしてシャーキャ族をも心底恨むようになったのです

王となったヴィドゥーダバは
暴れ象の大群を率いてシャーキャ族を攻撃し滅亡させてしまうのでした

これを知ったお釈迦様は

 これから7日経った日に
 王も兵士も皆破滅するであろう

と予言します


そしてその予言通り
7日後に激しい嵐が起こり
王も兵士も皆のみ込んでしまいました


お釈迦様は言いました

 悪行の後には報いがある
 彼らは地獄に生まれるであろう




菩提樹のもとに座り 覚りを得てから45年
  お釈迦様の一生 無限の光に包まれる時に向かって__②
さまざまなことがありました

そしてついに自身の死を迎え入れるため
お釈迦様は最期の旅に出るのでした・・


 つづく・・




[2014/01/09 23:57] | お釈迦様の一生Ⅱ | トラックバック(0) | コメント(0)
お釈迦様の一生Ⅱ 悲しみの晩年__①
シャーリプトラマウドガリヤーヤナ

お釈迦様の両腕 教団の二大双璧 などと称されるこの2人の弟子はお釈迦様よりも先に涅槃へと旅立ちます
  お釈迦様の弟子 マウドガリヤーヤナ__③
  お釈迦様の弟子 シャーリプトラ__②


晩年のお釈迦様は 体調がすぐれない時には説法をまかせるなど絶大な信頼を寄せてた2人でした
仏法を相続するであろう愛弟子たちに先立たれたお釈迦様の心痛は計り知れないものでしたが
比丘たちにこう言いました

 諸行は無常なり
 2人が涅槃に入ったことは悲しむべきことではない
 大きな樹が茂ると
 次には大きな枝から折れて行くように
 2人は先にこの世を去っただけなのである



そしてお釈迦様の出身部族であるシャーキャ -釈迦族- も滅亡してしまいます
  お釈迦様の一生 故郷へ帰る

お釈迦様はヒマラヤ山脈の麓に二大強国マガダとコーサラにはさまれたカピラヴァストゥという都で生まれましたが
  お釈迦様の一生 使命を秘めた誕生__②

このお隣のコーサラ国の王ヴィドゥーダバに滅ぼされるのです


ヴィドゥーダバがシャーキャ族を憎むようになったのは・・


 つづく・・



[2014/01/02 16:35] | お釈迦様の一生Ⅱ | トラックバック(0) | コメント(0)
お釈迦様の一生Ⅱ 最大のピンチ__④
デーヴァダッタはお釈迦様に5つの要求をしたと伝わっています

それは

 山林で修業をすること
 食事の接待は受けず 托鉢をすること
 喜捨された衣服ではなく 糞掃衣を着ること
 肉 魚 牛乳 バターなどは摂らないこと
 家屋ではなく 樹下に坐ること
 
というものでした
つまりは当時のサンガ - 教団 僧伽 - はこのような実態であったというわけです
竹林精舎や祇園精舎を寄進されるなど 非常に豊かであったのです
  竹林精舎→お釈迦様の一生 初の拠点 -竹林精舎-
  祇園精舎→仏教の八大聖地__④サヘート・マヘート__ⅰ

大悪人のように語られることも多いデーヴァダッタですが
何から何まで全てが悪だったわけではないようですね



さて
そうこうしているうちに
お釈迦様は80歳近くになっていました
そろそろ涅槃に入る時が近づいてきたのです・・


 つづく・・



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[2013/12/25 22:56] | お釈迦様の一生Ⅱ | トラックバック(0) | コメント(0)
お釈迦様の一生Ⅱ 最大のピンチ__③
次には象の大群をお釈迦様へ差し向けることにしました

しかし 象たちもまたお釈迦様の前にくると膝を折り頭を垂れて穏やかな表情を見せるのです


困り果てたデーヴァダッタは今度は自らの爪に猛毒を仕込みお釈迦様に掴み掛ることにしたのです

すると猛毒は 掴み掛る寸前のところでデーヴァダッタ自身の体に回ってしまいました

そして
苦しみ悶えたあげくの果てに ついには息耐えてしまうのでした



お釈迦様は言いました

 デーヴァダッタは地獄に堕ちたのだ
 しかし
 その心にもわずかに真理の心があるのです
 いずれ 覚りを得る時が来ることでしょう
 

極悪人の心にさえ 真理の教えは働くのです
生まれ変わりを幾度も繰り返し
やがて解脱する日がくるのです


いろいろ謎も多いデーヴァダッタですが
彼の考えはその後も引き継がれていたことを
7世紀にこの地を訪れた三蔵法師などが書き記しているのだそうです
  仏教の歴史 仏像が誕生する


デーヴァダッタはお釈迦様に5つの要求をしたと伝わっています


それは・・


   つづく・・



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[2013/11/26 18:39] | お釈迦様の一生Ⅱ | トラックバック(0) | コメント(0)
お釈迦様の一生Ⅱ 最大のピンチ__②
デーヴァダッタは極悪犯罪者を集めてお釈迦様を殺害しようとしました

しかし
何度試みようと全て失敗に終わってしまいます

襲い掛かかるとお釈迦様があまりに柔らかく微笑むため 賊たちはすっかり毒気を抜かれてしまうのです
挙句の果てには説法を聞いて出家してしまう賊まで出てしまうではありませんか

デーヴァダッタは今度は自らお釈迦様の頭上目がけて大きな岩を落としました
しかし 今度もまた岩はお釈迦様に当たる直前に粉々に砕けてしまったのです

そこで次にはマガダ国の皇太子 阿闍世 -あじゃせ- を利用することにしました
言葉巧みに何度も何度も阿闍世にささやいたのです

 王になれば何もかもが手に入ります
 父上 ビンビサーラ王はお釈迦様にすっかり帰依しています
 わたしがお釈迦様を殺しますから
 あなたは父上を殺すのです
 そうすればこの世の全てが手に入るのです


繰り返し誘惑された阿闍世はついに父を牢獄に閉じ込め殺してしまうのでした
  お経 観無量寿経__①

しかし次のお釈迦様への企ても・・・

 つづく・・


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[2013/11/01 16:24] | お釈迦様の一生Ⅱ | トラックバック(0) | コメント(0)
お釈迦様の一生Ⅱ 最大のピンチ__①
お釈迦様に引退勧告をつきつけた人物といえば・・

 お釈迦様のいとこ
 お釈迦様 王子時代の妻 ヤショーダラの弟
 十大弟子で多聞第一と言われたアーナンダの兄

お釈迦様が出身地カピラバストゥへ帰国したおりにバッディヤ アニルッダ 弟アーナンダとともに出家した人物
デーヴァダッタなのです
  お釈迦様の一生 故郷へ帰る


お釈迦様率いる教団は一大勢力となりましたがお釈迦様には あいかわらず驕るところは全くありませんでした

そんな中デーヴァダッタは智者として教団内でも崇められるほど人物でした
しかし しだいにお釈迦様の人望を妬むようになっていきます
そして自分が教団の主になりたいと考えるようになっていくのでした

頭脳明晰であったデーヴァダッタはいろいろ考えた末
まずお釈迦様に退陣をそそのかすことにしました

 偉大なるお釈迦様 
 70歳を超えた今 そろそろお体のことをお考えください
 教団のことは全て私にお任せください

しかし
デーヴァダッタの本心を見抜いたお釈迦様は穏やかに首を振るのでした

そこで次にデーヴァダッタはお釈迦様を殺害しようと企てるのです


つづく・・



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[2013/10/11 19:00] | お釈迦様の一生Ⅱ | トラックバック(0) | コメント(0)
お経 鴦掘摩経 -おうくつまきょう-__③
目の前に立つ僧がお釈迦様であることに気付いたアヒンサカは愕然としました

 なんということでしょう・・
 今やっと自分の罪に気づきました
 これから先わたしは地獄へ行くしかありません

しかしお釈迦様は言いました

 アヒンサカよ
 あなたは今新しく生まれ変わったのです
 これからのあなたは誰よりも不殺生という戒を守り抜くことでしょう
 罪を償う覚悟があるのならば 法を聞くのです

こうしてアヒンサカの祇園精舎での修業が始まりました
しかし托鉢に行けば殺人鬼と罵られ 石を投げられ 血まみれになる日々が続きました
しかしお釈迦様のもとへ来たアヒンサカはこう言うのでした

 お釈迦様
 わたしはアヒンサカ -無害- という名をつけられたのに
 アングリマーラ -指の首飾り- と呼ばれ続けました
 でも今こうして覚りを得ることができました
 報いを受け 法を聞き そして静かな心へと至りました
 もはや生きることも死ぬことも願うところではありません
 ただただ 与えられた人生を歩んでいきます


アングリマーラが祇園精舎に入ったという知らせを聞いた
コーサラ国の王プラセーナジットは彼を捕えようとやってきますが
安らかな心に至った彼を修行者の中から見分けることができなかったといいます



人間は誰でもがこのようにいとも簡単にコントロールされてしまうもの
素直で従順な人に限ったことではありません
という意味なのだそうです



さて
お釈迦様に引退勧告をつきつけた人物といえば・・


 つづく・・・



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[2013/09/24 23:38] | お経 | トラックバック(0) | コメント(0)
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